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私の家族

ボロボロのピアノを向き合う調律師一家

時代と社会が変化するなか、福島に生きる家族の姿を映し出すシリーズ「私の家族」
津波をかぶり修復は困難と言われたピアノを蘇らせた調律師一家を取材した。

動画はYouTube 福島ニュース【福テレ】でご覧いただけます。

つないだ希望

福島県いわき市のピアノ調律師・遠藤洋さん。これまでに3万台以上を直してきた。その中に「奇跡」と呼ばれる1台がある。

東日本大震災で津波に飲み込まれた、いわき市平薄磯地区。福岡県から派遣された自衛隊の部隊が、中学校の体育館で見つけたのが、津波をかぶったピアノだった。
自衛官の山口勇さんは「土砂と津波に押し流されて、土砂の中に埋もれてピアノがあった」とその時の様子を語る。損傷が激しい備品はガレキとして扱う方針だったが、部隊がとった行動は違った。

自衛官・山口勇さん:「なんとか一歩出来ないかなと。自分達の飲み水である腰につけた水筒から、その水をモップにかけて床を吹き始めたんです。輝いた床の上に復興となるピアノを設置し、その姿をもし子どもたちがみたら、豊間中学校まだ大丈夫だなって」

この行動が「奇跡」へと繋がった。

子どもたちも調律師

遠藤家の長男・慶彦さんと次男・悟さん、そして長女の舞子さんも調律師。ピアノの修復にかける気持ちは全員同じだ。家族は12年前、津波をかぶったピアノを修復する道を選んだ。

父の遠藤洋さんは当時、直した経験も直す自信もなかったという。「もうすごい状態だから、直すっていう発想は全くない。直す技術もないし。でも、ピアノを見た時に『よく来てくれた 私をどうにかしてくれ』と私たちにすがってたんじゃないかなって思う」と語る。

修復は、海水を水で洗う前例のない作業からのスタート。1万点のうち9000点以上の部品を交換。およそ半年をかけて、戻るべき場所に再び戻った。このピアノは「奇跡のピアノ」と呼ばれ、全国 時に海外で震災の記憶を音色で伝えている。

「奇跡のピアノ」の存在が、今はピアノ家族と全国で災害に遭った被災ピアノを繋ぐ懸け橋に。遠藤洋さんは「1台のピアノをきっかけに、問い合わせがすごい殺到したんですよ。被災してしまったと、使えなくなってしまったと、そういう人達からとってみては、たまたま救いの手を差し伸べることが出来る様になったのかなと」と話す。

語り継がれるよう見守る

ピアノは時間の経過や環境でも少しずつ劣化していく。「奇跡のピアノ」も12年が経った今も塩が浮き出るなど継続的な修復が必要だという。
遠藤洋さんは「永遠に"奇跡のピアノ"として語り継がれるように見守って。あと何十年できるかわかんないですけど。ただ私には息子たちがいるからちゃんと引き継いでくれると思うんですよ。ですので直ったといいながら、そこで終えることがなく、継続していけることができるからよかったなって思ってます」と話した。

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