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登山家・田部井淳子の軌跡 粘り強さと好奇心で世界初の偉業を成し遂げる 伝えたかった「生き抜く力」《もっと!ぐっと!三春町》

女性だけの登山隊でのエベレスト登頂や7大陸最高峰制覇を成し遂げた福島県三春町出身の登山家・田部井淳子。粘り強さで困難を乗り越えた彼女は、がんと闘いながらも東北の高校生たちに「生き抜く力」を伝え続けた。その壮絶な挑戦と温かな人柄の軌跡を追った。
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登山は茶飲み話のネタ?
「私は福島だからかどうか分かりませんけれども、粘り強いというんでしょうか、なかなか物事を諦めないというか」
1991年のインタビューでこう話していたのは、福島県三春町出身の登山家・田部井淳子さん。
50年前、女性だけの登山隊を編成し世界最高峰のエベレストに登頂。1992年には、7大陸の最高峰を制覇するなど、女性として世界初の偉業を数多く成し遂げた。
「限られた時間しか、生きてられないうちに自分の歴史を豊かにしたい・知らないところに行ってみたいという気持ちがすごい強いものですから。ああ、こういうところもあったのね、世の中って美しいところいっぱいあるのねって、茶のみ話っていうんでしょうか、そういう思い出をたくさん作っていく。それが私の山登りになってます」(1991年2月14日インタビューより)
愛用品が語る過酷な登山
故郷・三春町の歴史民俗資料館には、田部井さんがエベレストに登頂した時の愛用品などが展示されている。
三春町歴史民俗資料館の平田禎文館長は「やはり、田部井さん目当てで来る方もいらっしゃいますし。たまたま来たら田部井さんのふるさだと知って、『こういうのがあるんだ』『今とは違う道具を使って大変だったのだろうな』と観覧していかれる」と話す。
エベレストの登頂記には、過酷な闘いの跡が綴られている。
「5歩登っては休み、10歩登っては一息つく」
「昨夜1L/minずつ使用した酸素が朝3時すぎになくなる」
展示を見た人からは「冒険の大変さみたいなものを、展示品の一つ一つの傷から感じる」「エベレストに登るのはすごく難しいことだから、カッコイイ」との声が聞かれた。
東北の高校生を応援
小学4年の時に栃木県の茶臼岳に登り、登山の魅力に引きこまれた田部井さん。
東日本大震災の翌年の2012年には、登山を通じて東北の人たちを勇気づけようとプロジェクト「東北の高校生の富士登山」を立ち上げた。
2025年で14回目を迎え、これまでに高校生約800人が参加した。
現在プロジェクトリーダーを務める息子の進也さんは「日本一の富士山に登るっていう自然体験を通じて、いろんなコミュニケーションだったり、それこそ仲間との助け合いだったり。彼らに、これからそういったことを体験してもらって、東北・福島を盛り上げてもらいたいな」と話し、高校生たちが復興の後押しをしてくれることを願っている。
「生き抜く力」とは
乳がん、腹膜がん、脳腫瘍と、晩年は病にも苦しんだ田部井さん。77歳で亡くなる数カ月前まで山をめざし、400人以上の高校生が田部井さんと共に富士山に登った。
田部井さんが生涯をかけて伝えたかったこと。それは「生き抜く力」だ。
「もう病気もね、"生きている証拠"だと私なんかは思っていますし。例え、いろんなことが起きても、生きている限り"良い時間"っていうのは絶対訪れるわけですから、それを目指して毎日毎日真剣に生きていくということを続けてもらいたいかなと思っています」(ゆっくりと一歩ずつ~登山家田部井淳子のあゆむ道~2014年10月25日放送より)