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「あの恨みがこもった目」を忘れない 津波からの避難...ばっぱを置き去りに 強い後悔を教訓に語り継ぐ
記憶は、語り継ぐことで教訓となる。13年前の行動と選択...忘れられない辛い記憶を、男性は今を生きる命のために語り継いでいく。
◇【動画で見る】動画はYouTube 福島ニュース【福テレ】でご覧いただけます。
語り部は感情を伝える
大谷慶一さんは、福島県いわき市薄磯地区で語り部として活動している。
「語り部は、自分の感情を伝えてるんですよね。その感情に、聞き手がどれくらい共感してもらえるか、共鳴してもらえるか、そこが勝負なんですよね」
目に映った真っ黒な海
13年前の2011年3月11日、大谷さんに何が起きて何を感じたのか...
津波で甚大な被害が出たいわき市。薄磯地区は116人が犠牲になった。当時、自宅で揺れに襲われた大谷さんは一度海を見に行ったという。
「海の色こんなにきれいじゃありませんよ。真っ黒ですよ。想像出来ますか?」
苦渋の決断 ばっぱの手を離せ
津波の予兆を感じた大谷さんが自宅に戻ると、妻の加代さんは飼っていた犬2匹、そして近所に住む70代と90代の女性2人と一緒だった。その後、向かった先は高台にある神社。石段を登ろうとした時、振りかえると目の前には津波が迫っていた。
「その時、私の家内はお婆ちゃんの左腕を右手で掴んでました。こっちには犬を抱えて。もう一人77歳のばっぱは、92歳のばっぱの右手を両手で掴んでたんですね。私は振り返りざまに"ばっぱの手を離せー!"って叫んでます。その時に、ばっぱの目を見ています」
70代の女性は助かったが、90代の女性は数日後、遺体で発見された。
共鳴する大谷さんの経験
大谷さんの講話を聴いた人からは「その時の状況を想像すると、すごい苦しい判断だったと感じた」「おばあちゃんの手を離して自分が生き延びたと。とてつもなく重い負担になってるんじゃないかな」という声が聞かれた。
同じ思いをさせない
1年半の間、大谷さんは当時のことを誰にも話せず苦しみ続けた。友人に誘われ「語り部」になることを決めたという。大谷さんは「辛い気持ちをさらけ出しちゃう、これが私はすごく良かったんだと思う。だから私は、こういう話を皆さんにして、そういう思いをして頂きたくないなという気持ちがある」と話す。
消えない自責の念
語り部となって11年。自身の経験を話した時、いまも辛い記憶がよみがえってくるという。
「後悔がない訳ないじゃないですか。強い後悔ですよ。おれのこと置いてくのか。置いてかねでけろっていう、あの恨みがこもった目」
一緒に逃げて
自分の命を守るために迫られた選択。あの日の行動を振り返るたびに、伝えたい思い、伝えないといけない思いは強くなっている。
「私の思いというのは、たった一つ。あなたの命を守りましょう・あなたの命を一番大事にしましょう。災害弱者と言われている方達が、率先して家族と一緒に逃げてくれ、一緒に連れて逃げてくれということ。これが一番大事なんです」
今を生き、これからを生きる人のために...大谷さんは2011年3月11日の自分と向き合い続けている。