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津波に襲われた小学校...82人の児童は無事 「奇跡で終わらせてはいけない」当事者が語る"自分事"の防災
福島第一原発からの距離は約7キロ、海岸から約300m内陸にある福島県浪江町の請戸小学校。2011年、誰も経験したことがない揺れに襲われた後に、大津波が校舎を飲み込んだ。津波が襲ってきたのは、地震から約40分後...児童と教職員全員が助かった。あの時、この場所にいた先生と児童の証言から、学ぶべきことが見えてきた。
県唯一の震災遺構 請戸小学校
津波は、建物の1階を飲み込み2階の床上10センチほどの高さまで浸水した。今は震災遺構として震災の脅威、津波の恐ろしさを伝えるため、被害を受けたほぼそのままの姿で保存されている。2021年10月には一般公開が始まり震災の記憶と教訓を多くの人に伝える役割を担う。
故郷・請戸を伝える
2011年、請戸小学校の6年生だった横山和佳奈さん(25) 今は、福島県双葉町にある「東日本大震災・原子力災害伝承館」で働いている。
「請戸がどんどん人々の記憶から消え去って、なかったも同然になっちゃうんじゃないかな、みたいな。請戸があったことを、伝えていかないといけないなって思ったのが最初です」と今の仕事に就いたきっかけを話してくれた。
祖父母は津波に...自分が助かった理由
2014年。当時はまだ15歳未満の立ち入りが制限されていた請戸地区を、高校生になった横山さんはこの年初めて訪れた。線香を手向ける横山さん...津波は祖父母の命を奪い、生まれ育った故郷に大きな傷を残した。
自分の命が助かったのは「避難の仕方」にあったと記憶している。
当時、小学校には82人の児童
海から約300mに位置する請戸小学校には、すでに授業を終えて帰宅した1年生を除き2年生から6年生までの児童82人が残っていた。
横山さんの証言によると、地震の後 全員が一度校庭に集まり、すぐに学校から1.5キロ離れた「大平山」を目指した。
偶然の避難打ち合わせ
当時、請戸小学校の教頭だった森山道弘さん。地震が起こる約2時間前の午後1時、今後実施する予定だった避難訓練の内容を、担当の先生と打ち合わせていた。
森山さんは「いつもだと火事という想定なのだが、あの時は何年か前から震度4以上の地震が何度も起きていた。津波に対する避難訓練やるということで、どこに避難するかなどを話していた。虫の知らせというのか、あれがなかったらば...」と振り返る。
2010年4月に請戸小学校に着任した森山さん。当時、頻発していた地震への不安から防災計画の見直しを決意し、地区の中で「避難場所の候補」とされている場所を自分の目で確認したうえで「大平山を越える」という判断をしたばかりだった。
午後2時46分 地震発生
「あまりにも校舎が破損・崩壊しそうな揺れだった。戸がバタンバタンと開いたり閉まったりする。その音もすごかった」と森山さん。当時小学校6年生だった、横山和佳奈さんも「揺れがあまりにも大きくなっていくので、自分が机ごと吹っ飛ばされるわ、お道具箱が飛び出す子はいるわ、大変なことになっていた」と話す。
午後2時54分 校庭から大平山へ
午後2時55分、防災無線から津波警報が流れる。森山教頭は校舎に残り逃げ遅れた児童がいないことを確認した。避難している時の様子を横山さんは「田んぼに残っている小さな水たまりが揺れていたので、いま余震が来てるんだなとそこで気づいた。漠然とした恐怖というか、不安感という感じ」と話す。
午後3時15分 大平山の麓に到着
請戸小学校から、あぜ道を歩いて避難した児童たちは大平山の麓に到着。さらに、山を越えて数時間歩き続けたという。午後3時25分には、校舎の確認を終えた森山教頭も大平山へ向かった。
午後3時33分 沿岸部に第一波到達
当時、教頭だった森山さんは「子どもたちはとにかく逃げることに夢中で、どちらかというと無言でいた。泣き叫んでいる子どももいなかったので」と話す。午後4時半には山を越えて国道へ。午後5時、役場への避難が完了した。
伝えたいこと 横山和佳奈さん
「災害が恐ろしいものであるっていうのは、もちろん感じてほしい。でも怖いで終わってはダメ。私自身も東日本大震災で被災しておきながら、いざ熊本だ、大阪だ、北海道だ、能登だって色々あっても、大変だって心は痛めるけど、100%自分事にはしきれない。聞いてくれた方の生活の奥に入り込んで、その方がより災害への備えをしてくれたらいいなと思う」
伝えたいこと 森山道弘さん
「あの時、本当に偶然なんだと思うが一歩遅れたら津波で亡くなっていただろう。本当に一瞬の判断で今まで生きてこられた。今、自分が味わえている幸せを大事にしなくてはならないというのと、あの時 実は亡くなった人たちがたくさんいる。一生懸命、生きなくてはいけないと思う」
美談で終わらせてはいけない
請戸小学校の全員が助かったのは「奇跡」と呼ばれることがあるが、同じような災害が起こった時に、命を守る備えはできているか。
横山さんは「助かったことを美談で終わらせてはいけない」「災害を自分事として捉え備えをしておくべき」と話していた。また、森山さんは「ここなら避難できる」「こういうルートなら避難できる」ということを自分の目で確認したうえで周りと共有しておくことなど、未来につなぐべきことについても話してくれた。
13年前の行動と当事者たちの今の言葉から、私たちが学ぶべきことは本当に多いと感じる。自分たちの経験を奇跡で終わらせてはいけない、それが2人の願いだ