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無事への願いと滲む血の跡 遺品の日章旗が遺族のもとへ フィリピンで戦死...最期を知るきっかけに
79年前、22歳の若さで戦死した福島県出身の男性。福島県二本松市の山間にある男性の墓で、手をあわせていたのはアメリカ人の親子・ウィリアム・ロブソンさんと息子のマイケルさん。父から受け継いだ日章旗を遺族に返すために、日本へやってきた。
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戦闘から79年 祈りを捧げる
福島県の旧東和町出身の斎藤孝道さん。
二本松市遺族連合会によると、フィリピンに出征し1945年8月にルソン島で戦死したとされているが、これまで詳しい状況は分かっていなかった。
その最後の戦闘に"敵国"として従軍していたのが、ウィリアムさんの父のセシルさんだと最近分かった。ウィリアムさんは「父と斎藤さんが出会ったのは最初で最後でした。1945年フィリピンでの戦闘からもう80年になります。祈りを捧げられたことはとても光栄で、ここに来られて良かったと思います」と語る。
遺品の日章旗が遺族のもとへ
「武運長久」「皇軍万歳」戦中を偲ばせる言葉で埋め尽くされた日章旗。所々に残るシミは血の跡だ。孝道さんが身に着けていたこの日章旗を、セシルさんは遺品としてアメリカに持ち帰っていた。亡くなったセシルさんから遺品を受け継いだ2人は、いつか遺族のもとへ返したいと願っていた。
そして、79年後の夏...日本遺族会などの協力で孝道さんにたどり着き、日章旗を返すだけでなく遺族との面会も果たすことができた。
ウィリアムさんは「斎藤さんの家族に会って、斎藤さんが国旗を持っている写真を見たり、彼の人生について家族と話したりできたことは、とても素晴らしいことでした。私たちが最も楽しみにしていたことは、彼の人生を理解することでもありました」と話す。
知る事ができた足跡 蘇る思い出
遺族にとって、これまで孝道さんの遺品と呼べるものは2枚の写真だけだった。
孝道さんの妹・加藤久美子さんは「骨壺は絶対見てダメと言われていたが、父たちが見たら炭のかけら1つだったって。どこで亡くなったかっていうのを分かっただけでよかった。せっかくロブソンさん親子も来てくれて...」と話した。
一方、当時幼かったいとこの高橋良一さんは「あんまりそばに行けなかった、頭が良すぎて。トイレの中でも勉強していたくらいの人だった」と、暇を惜しんでは勉強に励む姿を思い出していた。
日章旗を契機に、再び思い起こされた孝道さんの足跡。それは、79年後の"いま"を生きる私たちが忘れてはいけない戦争の歴史だ。