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財政の危機...アイデア村長の体を張ったPR活動 なつかし映像で深掘り《もっと!ぐっと!泉崎村》

福島テレビが地域の魅力を伝える「市町村ウィーク」。1週間、特定の市町村の情報を毎日、徹底的に深堀り、59市町村すべての魅力を伝えていく。
8月21日は斎藤気象予報士が天気コーナー「福テレ空ネット」で泉崎村を深掘りする。

<68億円の赤字から始まった再建への道>
2000年、泉崎村は約68億円という巨額の赤字を抱え、財政破綻の危機に直面していた。この危機の主な原因は、1994年から分譲を開始した天王台ニュータウンにあった。192区画用意されたこのニュータウンは、バブル崩壊後の景気低迷もあり、ほとんど売れ残ってしまったのだ。

<斬新なアイデアで挑んだ販売促進>
この危機を打開するため、当時の小林日出夫村長は斬新なアイデアを次々と打ち出した。その中でも特に注目を集めたのが、以下の施策だ。
1. ゆったり通勤奨励金:東京などに通勤する人に最大300万円の通勤費を助成
2. 健康増進奨励金:土地購入者が県南地域のゴルフ会員権を購入した場合、30万円まで補助
3. 20年後の土地建物譲渡:入居期間が20年を経過した後、希望者に50万円で土地建物を譲渡

これらの施策は、都市部からの移住者を呼び込むことを目的としていた。特に「ゆったり通勤奨励金」は、泉崎村から東京への通勤を可能にすることで、村の魅力を大きく高めることに成功した。

<村長自ら体を張ったPR活動>
小林村長の取り組みはこれだけに留まらなかった。2007年、残り80区画の販売促進のため、村長は自ら体を張るPR活動を行った。なんと200キロを歩いて東京・銀座へ向かい、そこで天王台ニュータウンのPR活動を展開したのだ。
この努力が実を結び、192区画のうち112区画が売れるという成果を上げた。小林村長の就任から、村の赤字の7割が解消されたという。

<現在の泉崎村:移住者に人気の地域へ>
これらの取り組みの結果、現在の泉崎村は移住者に人気の地域となっている。県外からの移住者を含め、1年に100人以上が泉崎村に移り住むようになった。

泉崎村の再建の歴史は、地方自治体が直面する課題に対し、創意工夫と強い意志があれば道は開けるということを示している。小林村長が亡くなった後も、その精神は村に息づいており、今も村民の幸せを第一に考えた政策が続けられているという。