生まれ育った地が一番!帰還困難とされた地元 4月1日に解除へ 待ち続けた富岡町民の思い《震災12年》
原発事故により帰ることが困難とされた自宅。福島県富岡町の男性は、生まれ育った地へ帰ることを12年間待ち望んできた。念願叶い2023年4月には故郷へ戻れるようになる。
<2023年4月1日 復興拠点の避難指示解除へ>
福島県富岡町の大和田信成さん。自宅があった新夜ノ森地区は、立入りを厳しく制限された「帰還困難区域」に指定された。
「やはり生まれ育ったところで生活するのが、一番なんですよ。心の安らぎ、安心できるというのが一番ですよ、人間にとって」と話す大和田さん。ずっと待ち続けていた、"この地区に戻れる日"が近づいていた。
富岡町は2017年4月に帰還困難区域を除くエリアの避難指示が解除され、住民の帰還が始まった。いわき市に避難していた大和田さんは"安心"を求め、真っ先に町へ戻った。
あれから6年、帰還困難区域の一部解除に光が見えてきた。富岡町は帰還困難区域のうち、先行的に除染などを行う「復興拠点」に指定された夜の森駅周辺のエリアについて、2023年4月上旬の解除を目指す方針を固めた。
この復興拠点には、大和田さんの自宅も含まれていた。
<住環境整備でつながりを再び>
「富岡町の中でも夜ノ森地区・新夜ノ森地区というのは最高の場所だった」そう話す大和田さん。その理由に住民同士のつながりを挙げた。「回覧板回して皆さんと交流が常に続いてましたから。まわり近所・住民とのつながりというのは、大切なものなんですよ。これがあったからこそ自分が生きてこられたのだと思います」と語る。
富岡町では、帰還困難区域の解除にあわせてすぐ使えるよう町営住宅の整備が進んでいた。中を見せてもらうと、気持ちのよい清潔感のある空間がひろがっていた。ただ、よくみるとキズがついたところも...実は築20年以上の団地を改修している。
改修のメリットは「家賃を抑える」ことでできること。所得など条件はあるが、1万8000円から入居することができ、帰還の後押しにつなげたい考えだ。
富岡町総務課の福島好邦課長補佐は「移住者と、もともとの町民が分け隔てなく入って頂けると有難いなと思っています」と話す。
震災前は、この団地の近くに自宅があった大和田さん。避難指示の解除を待ち、自宅の再建に乗り出し2023年12月の完成を目指している。
待ちに待った"帰還"と、また故郷で住民同士が交流できる日が訪れようとしている。
<帰還希望者は少なく...厳しいスタートに>
また、2023年4月1日に避難指示が解除される復興拠点には、3月1日時点で2580人が住民登録しているが、宿泊しながら帰還の準備を進める「準備宿泊」をしている人は54人となっている。
将来このエリアに1600人が住むことを目指す町にとって、厳しいスタートとなりそうだが、解除となるその日を待ち続けていた人がいることを、忘れてはならない。
<帰還理由は「気持ちが安らぐから」>
最新の住民意向調査で、富岡町にすでに戻っている人に「帰還の理由」を聞いた。「放射線量が低減されたから」といった客観的事実のほか、「生活用水の安全性が確認された」などのインフラ面、また課題としてあがることも多い「医療機関が開院したこと」などが上位にあがった。その中で、抜けて多かった理由が「気持ちが安らぐから」だった。
大和田さんのように12年もの間、ふるさとの"安心"を求めている人がいる。治安も含めた生活環境の整備、人とのつながりが生まれる街づくりなど、住民たちがかつてと同じ"安心"を感じられるようになった時、夜の森の未来は明るく照らされているはずだ。