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「笑う門には福来る」パリパラリンピック砲丸投げ・齋藤由希子選手 出産から約2年半...初めての夢舞台へ

日本時間8月29日にパリパラリンピックが開幕した。砲丸投げでメダルの期待がかかる福島市在住の齋藤由希子選手(SMBC日興証券)は「パワフルさ」と「笑顔」がトレードマークだ。

<福島市在住 齋藤由希子選手>
パリパラリンピック砲丸投げ・日本代表の齋藤由希子選手。体を大きくつかったパワフルな投てきが持ち味だ。自己ベストは「12m47」、2023年まで約8年間世界記録ホルダーとして君臨した実力を、初めての夢舞台で見せつける。
齋藤選手は「パリパラリンピックでは、メダルを獲得できるように精一杯競技をして、帰ってきたいと思います」と語る。

<初めてのパラリンピックへ>
生まれつき左ひじから先がなかった齋藤選手。中学の時に砲丸投げに出会うと、学生時代は健常者と同じ大会にも出場し力をつけていった。
しかし、東京パラリンピックでは齋藤選手の障がいクラスの「砲丸投げ」は実施されず。「やり投げ」で出場を目指すも、ケガの影響もあり出場はかなわなかった。

<娘を出産...パリへの戦いがはじまる>
その後、パリでの砲丸投げ復活が決まった中、2022年3月に長女・千遥ちゃんを出産。ここからパリへの戦いがはじまった。
「復帰して初めて砲丸を持った時は、7m・8mくらいしか投げられず、自分自身が砲丸投げを始めた当初よりも、記録的な部分では足りなかった」と当時を振り返る。
出産を機に、体重が15キロ減少。筋力や感覚を取り戻す日々が続いた。当時、齋藤選手は「上半身の筋肉は比較的戻りがよくて、スピード感などが戻ってきたが、下半身の筋肉を戻しても動き自体がまだいい動きを出来ていない。その下半身の強化が、いまの課題であります」と語っていた。

<笑う門には福来る>
過酷な復帰の道のりでも、齋藤選手が忘れなかったもの。それは「笑顔」。昔も今も、変わらぬ笑顔がそこにはあった。
「笑う門には福来る」・・・齋藤選手が、学生時代から大切にしている言葉だ。
「自分の中でしっかりこだわりをもって笑顔をというところで、自分の座右の銘にもしている。どんな時でも笑顔でいられるように」と齋藤選手はいう。

<世界選手権2大会連続で銅メダル獲得>
持ち前の明るさを忘れずに、着実に進めてきた復活への一歩。結果としてあらわれたのが、2023年はパリで2024年は神戸で開かれた世界選手権。齋藤選手は、2大会連続で「銅メダル」を獲得した。
「メダルの獲得を素直に喜んでいます。ただメダルの色にこだわった時に、自分自身世界記録を持っていた時期もあったので、悔しさもあります」と語る。

<パリパラ直前 さらなる技術向上に取り組む>
4年に1度の大舞台で輝きを放つために...開幕が1カ月後に迫ったこの日も、日本パラ陸上の強化委員長宍戸英樹さんと、さらなる技術向上に取り組んでいた。宍戸さんは「グライド(助走)スピード、いま取り組んでいるところもあがってきていますので、そこと上半身の連動があと1カ月のうちにしっかりとれてくれば、かなり大きな武器になると思います」とメダル獲得にも期待を寄せる。

出産から約2年半で迎える"夢の祭典"。「目指すところは、自分自身が納得する投げをして、納得する成績で終わること。これまで培った経験も自信にもって、すべてを爆発させてきたい」と語る齋藤選手。金メダル級の「笑顔」が咲き乱れた時、輝く表彰台が待っている。