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「本当に返還されるのか」自宅を壊し除染廃棄物の中間貯蔵施設に 進まぬ県外最終処分《福島・震災12年》

原発事故からの復興で、大きな役割を果たしているのが中間貯蔵施設。福島県内の除染で出た廃棄物を一手に引き受け、他の地域の復興を後押ししてきたが、この場所の復旧・復興も必ず成し遂げなければならない。施設に土地を提供した住民は、その先行きを見つめている。
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<除染廃棄物を受け入れる重い決断>
帰還困難区域には、12年前に避難したまま手が付けられていない場所があちこちに残る。福島県大熊町の帰還困難区域にある特別養護老人ホーム「サンライトおおくま」は、東日本大震災・原発事故で入所者と職員 約140人が避難を余儀なくされた。

その一方、すっかり様変わりしたのが中間貯蔵施設。
2011年8月、当時の菅直人首相が「福島県内で生じた汚染物質を適切に管理、保管する中間貯蔵施設を県内に整備することをお願いせざるを得ない」と方針を示し議論が始まり、町民の重い決断を土台に整備が進められてきた。

大熊町と双葉町にまたがる福島第一原発の周囲・約16平方キロの敷地には、福島県内の除染で出た廃棄物のほぼすべての量にあたる1340万立方メートルが運び込まれた。

福島地方環境事務所・中間貯蔵部の服部弘課長は「ここにもともと水田があって、ここで生活を営んでいた住民の皆さんがいらっしゃる。その皆さんの苦渋の思いをもって、こちらの土地を契約を頂いて、まさにこういった貯蔵ができている」と話す。

<我が家が中間貯蔵施設に>
福島第一原発から3キロの場所に住んでいた大熊町の赤井俊治さん(66)は、5年前に悩みぬいた末に「2045年まで」という期限をつけて、自宅の土地を中間貯蔵施設に提供する契約を国と結んだ。

原発事故で避難を余儀なくされるまで、家族5人で20年余りを過ごした我が家。この場所は、2023年3月に更地にされ中間貯蔵施設の一部となる。自宅が取り壊される様子は、見ないことに決めていた。「国とか東電に、本当に怒りがありますよね。神話だったんですから。安心安全だということで事故は起きないんだってことはもう、崩されたわけですから」と赤井さんは語った。

<約束は守って...除染廃棄物の行方>
赤井さんの自宅の周りには、先行して運び込まれた除染廃棄物が積み上げられている。赤井さんは、県外搬出が難しくなりこのまま置き去りになるのではないかと懸念している。「やっぱり約束したからには、ちゃんとしていただきたい。約束はやっぱり守っていただきたい」と話す。

「30年以内に県外で最終処分」赤井さんが2045年までという期限付きで土地を提供したのは、この約束があるからだ。
カギを握るのが、全体の4分の3を占める汚染レベルが低い土の再生利用を、福島県の内外でどれだけ進められるかということ。
国は2022年に、埼玉県所沢市にある環境省の施設などで除染土を再生利用する実証実験を行うと発表し、住民説明会も開いた。

しかし、参加者からは「福島に対してはいろいろ協力もしてきましたけど、実証事業はもうちょっと時間をかけて考えていただきた」「風評被害だとか安全性みたいなことが心配だという意見も多かった。雰囲気としてはほとんどの人が賛成はしかねるという感じ」という声が。

<県外からは受け入れに否定的な意見>
出席した住民から聞かれた否定的な意見。地元の町内会は実証実験に反対し、所沢市長も住民の理解が得られなければ受け入れない考えを示し、計画はストップした。
福島地方環境事務所・中間貯蔵部の服部弘課長は「県外最終処分というのは法律でも規定された、国としてのお約束でありますので。それをしっかり実行していくということが、我々の必要な課題だと考えております。住民の皆さんのご理解が必要だと考えておりますので、引き続き丁寧な説明を進めていきたい」とした。

<自分の土地は返ってくるのか...>
自宅が取り壊されても、敷地内には赤井さんが建てた石碑が残る。自分の土地は返還されるのか、不安を感じる赤井さんの心の支えとなっている。
石碑に刻まれた「想帰郷」の文字。赤井さんは「この"郷"っていうのは、ここの土地ですね、に帰ってくるっていう思いを込めて想帰郷っていうことにしたんですよね。ここの土地で帰ってくるんだってことで。帰ってきたいですよ。本当に...」と石碑を眺めていた。

約束の期限となる2045年、赤井さんは88歳になる。その日まで、故郷の復興の歩みをしっかり見届けていく。