「この診療所がある限り」80歳医師の決意 原発事故で避難した浪江町民を支えて《福島・震災12年》
福島県浪江町は、広い範囲が帰還困難区域に指定されている。津島地区にあった診療所は避難先の二本松市で診療を続けている。たった一人の常勤医師は80歳。現実との葛藤を抱えながら、決意を胸に町民を支える。
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<赴任して25年 先生は80歳>
福島県二本松市の復興公営住宅の一角にある「仮設津島診療所」で、所長を務める医師の関根俊二さん(80) ただ一人の常勤医師として、浪江町から避難を続ける町民の健康を守っている。
国立病院での勤務を経て、浪江町の津島診療所で働き始めたのは1997年。関根さんが55歳の時だった。「大切にしてもらえたというのが実感」と言うように、津島地区の住民は関根さんを温かく迎え入れ、関根さんは住民の健康を支えて互いに絆を深めてきた。
<退職目前 穏やかな生活が一変>
2011年3月11日の東日本大震災。浪江町の町民は、東京電力・福島第一原発から離れた津島地区へ避難。避難指示の範囲が拡大、浪江町は全域で避難を余儀なくされた。役場も転々とした末に、二本松市に落ち着いた。
当時関根さんは69歳、後任の医師も決まり退職目前だったが「避難先で診療所を立ち上げるから戻ってきてください」と役場から頼まれたという。関根さんは、当時の心境を「その時点で"もう嫌だ"とそこで断ればそれで終わったが、15年間の患者さんの顔思い出すと、やっぱり辞める訳にはいかなかった」と話す。
避難先の診療所で、診察を続けると決めた関根さん。避難が長引いて生活習慣が変わり、体調を崩す住民も目の当たりにした。「あれだけ元気に診療所に通ってた方が、杖をつかなければ歩けなくなってくるとか。だけどこればっかりは、どうしようも無かった」と関根さんは振り返る。
故郷を追われた浪江町民を、この12年間支えてきた。
<2023年3月31日 避難指示解除>
帰還困難区域に設けられた復興拠点の避難指示が解除され、故郷へ帰ることができるようになる。かつて診療所があった津島地区も対象だが、面積は地区全体の約1.6%、準備宿泊を行っているのも1世帯だけに留まる。
津島地区から福島市へ避難している氏家高志さんも、震災前から診療所に通ってきた。自宅の敷地は復興拠点のエリア内で、帰る意志はあるがゆっくり考えようとしている。
2021年に国や浪江町などが行った調査で「町に戻る判断がつかない」と答えた町民のうち、最も多い55.1%の人が帰還の判断には「医療・介護の復旧時期のめど」が必要と回答。診療所は「求められる存在」である。
<現実との葛藤...新たな決意>
「津島に戻りたいけれども、すぐに診療所を再開させるのは現実的ではない」そんな複雑な思いに加えて、「もう5月で81ですから。私もいつ具合悪くなったりするか分かりません」と話すように自らの年齢のことも頭をよぎる。
関根さんは子どもから高齢者まで、ケガをした患者も病気になった患者も診察して地域を支えてきた。「地域医療は、患者さん一人だけじゃなくて家族の背景とか全部ひっくるめた状態が分かって、本来の診療が出来るんじゃないかと思う。私の希望としては、このまま健康で元気であれば、この診療所がある限りお手伝いしたい」と関根さんは話した。
55歳で赴任して25年。およそ半分の期間は避難先で過ごしてきた。80歳の"地域の先生"は、これからも住民をそばで支えていく。