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記憶を伝えられる最後の世代 当時5歳が体験した震災・原発事故 高校生の私ができること

東日本大震災から12年。問題となっているのが記憶の風化。"あの日"突然突き付けられた厳しすぎる現実。忘れられないこと。教訓として学んだこと。50年・100年先を生きる人へ、若い世代がいま自らの経験を「言葉」にして伝えている。
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<当時5歳が経験した震災・原発事故> 
2023年3月5日に東京国際フォーラムで開催された「ふくしまの高校生が伝える3.11と私」 福島の高校生が等身大の言葉で東日本大震災・原発事故について語った。

「まだ住むことが制限されている地域に足を運んだり、伝承館の語り部の方や大変な思いをされた方の想いを聞くことで、東日本大震災と私について改めて考えてきたつもりです」

こう発表したのは、福島県南相馬市出身の佐藤菜々香さん17歳。東日本大震災が起きた時は5歳。それでも当時の状況は、記憶の中に鮮明に残っている。

「玄関に鈴が付いているんですけど。その鈴の音が地震の揺れによってすごく大きく鳴り響いていて、すごく怖かったっていう感情が思い出されます」

南相馬市の自宅があるのは福島第一原発の20キロ圏内。2011年4月に警戒区域に指定され、菜々香さん一家も相馬市などで生活してきた。いまも南相馬市の自宅は2011年の3月のままの状態。「やはり2011年3月から時が止まっている、この日を忘れないというか、そのためだと思う」と菜々香さんは言う。

<震災当時の記憶>
それまでの生活を一変させた、震災と原発事故。「その経験」が自分自身にとってどんな意味を持つのか、菜々香さんがたどり着いた答えが「伝えること」だった。

震災発生時の記憶について尋ねた2021年の調査で、60代以上は88%の人が「はっきりと覚えている」と回答。
一方、20歳未満で「はっきりと覚えている」と答えたのは39%。「ほとんど覚えていない」が21%に上りった。

特に若い人に記憶を伝えていくことは、福島だけでなく被災地の大きな課題だ。菜々香さんは「まだ幼く、自分の感情を正確に大人に発信できることができなかった。震災当時に思っていたこと、震災後の避難生活とかで感じていたことを高校生になった今は伝えられる。自分の率直な気持ちを伝えられる、最後の世代だと感じている」と語る。

<高校生が伝える3.11>
発表の場では磐城高校の笹澤花音さんが「まず皆さんには、そんな私たちの言葉をしっかりと受け止めてほしい。そしてその言葉の重さを理解しながら、自分のものにして、次へ次へと語り繋いでいってほしい」と思いを伝えた。

50年・100年後を生きる人たちへ高校生たちが伝えたこと。その思いを受け取ったひとたちは「故郷に思いを寄せているっていうことは、年齢が違っても同じ。行動しようって背中押された。希望も持てた」と話す。

自らの経験を伝えた佐藤菜々香さんは「東日本大震災を福島で経験した1人として、福島で起こった事実を伝えるとともに、その時に福島の人たちがどう感じていたのかとか、どういう考えだったのか、県外の人にも伝えていきたいなと思っている」とこれからについて語った。