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津波で両親を亡くした男性の14年 一度だけ夢に出できた父 家族・故郷を胸に新たな一歩《東日本大震災》

両親を津波で亡くし、故郷を離れ14年。21歳となった男性は、ふるさと・浪江と家族の思い出を胸に、都会で新たな一歩を踏み出した。いつかは故郷で...夢に向けて動き始めている。

■この春、新たなスタート
東京・渋谷。「初めて出勤した時から、ずっと楽しい。入ってきたギターの検品で、それ弾いている時が一番楽しいかな」と話す鍋島悠輔さん(21)。4月に就職する楽器店でアルバイトに励んでいた。小学生のころ、動画サイトで見たバンドの演奏に魅せられて、楽器に関わる仕事を選んだ。

■3.11 津波に襲われた浪江町請戸地区
鍋島さんは福島県浪江町の出身。14年前の「あの日」、日常が一変した。
鍋島さんが生まれ育った浪江町の請戸地区には、15メートルを超える津波が押し寄せた。地区の犠牲者は127人、行方不明者は27人にのぼっている。

■津波で家族4人を失う
あの日、小学1年生だった鍋島さんは、津波で父・彰教さんと母・弥生さん、また近くに住んでいた母方の祖父母を失った。
「不安も湧かないくらい、当時の状況が分からなかったので。先生が慌てて、やばそうって思ったのではないですかね。親が迎えに来ると思って、隣の子と遊んでいましたね」と鍋島さんは"あの日"を語る。
迎えに来ない両親と祖父母...その年のうちに、父方の祖父母が暮らす神奈川県平塚市に5歳上の姉と一緒に身を寄せた。

■父との思い出
「土日にお母さんは仕事で、お父さんがショッピングモールに連れて行ってくれて、お昼にマック買ってくれたくらいの記憶ぐらいしかないです。今でもマックの紙袋の匂いとか嗅ぐと、ちょっと思い出します」
笑顔が絶えない仲の良い家族だったという鍋島さん一家。
鍋島さんはたった一度だけ、あの日、迎えに来るはずだった父の姿を夢に見たという。
「遊んでいて、お父さんだけ迎えに来た時の夢。それだけですね。とにかく泣いていた覚えがあります。泣いて起きて『あぁ夢か』って。夢の中で泣いていたのですけど、起きて枕元がちょっと濡れていたので、本当に泣いていたのだって」
両親も祖父母も鍋島さんに「新しい人生を歩みなさい」と言っているのか、それ以来一度も夢には出きてくれない。

■あの日から14年
いつのまにか、浪江で過ごした時間よりもここで過ごした時間の方が長くなり、自分を支えてくれる大切な人々とも出会った。14年が経ったいま、社会人として歩みはじめる鍋島さんの心には、いつでも福島への思いがある。
「実際、福島にいるよりこっちの方が長いし、もう平塚ことは実家って呼んでいます。(Q:浪江のことは?)ふるさとって呼んでいますね。夢は、ここで経験を重ねて楽器屋が少ない福島で、自分の楽器店を作りたい」
いつかきっと「ふるさと」に「あの日の家族」に、自分の音色が届くよう。新たな旅立ちの一歩を都会の街並みの中で力強く踏みしめる。

■復興の現在地
2011年3月11日、午後2時46分。国内での観測史上最大級、マグニチュード9の巨大地震が発生。福島県内では最大震度6強を記録し、10メートルを超える津波が沿岸部を襲った。
福島県警察本部によると、県内での東日本大震災による死者は1614人、行方不明者は196人にのぼる。
また福島県のまとめでは、避難中に病気が悪化して亡くなるなどの「震災関連死」は、2024年11月1日の時点で2348人と、1年間で9人増えた。