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受け継いできた土地が中間貯蔵施設に 帰れぬ故郷 進まぬ最終処分に歯がゆさ 原発事故前のような姿を

原発事故前のような故郷を。そう願い、中間貯蔵施設が建設された福島県大熊町では、3月11日も男性が苗木を植えていた。

■原発事故前のような故郷を
「こんなに小さくても去年より良く咲いている。去年はあんまり咲かなかったんだけど植えたばっかりでね」と話す。震災14年を迎えた大熊町。山口三四さんは11日も苗木を植えていた。
「200(本)くらい来年の春までと思ってたんだけども」手がけた花木は徐々につぼみが芽吹ききれいな花を咲かせていた。山口さんは「誰も知らない人でもね、誰かが(花を見に)来て回ってくれて長者原って名前覚えてもらえば」と話す。
原発事故前のような故郷を。山口さんの願いだ。

■神社再建の際には奉納を
2025年2月に福島県大熊町で披露された「長者原じゃんがら念仏太鼓踊り」は、江戸時代末期に伝わったとされ、町の無形民俗文化財に指定されている。原発事故で休止を余儀なくされたが、2023年に13年ぶりに復活した。
中心的な役割を果たしたのは、区長の山口三四さんだ。「じゃんがらは、神社で毎年やっていたもので、震災で一度壊れた神社が完成したときには、じゃんがら奉納しなくてはならないと思って」と語る。

■受け継いだ土地を中間貯蔵施設に 
長者原地区は、東京電力・福島第一原発事故で一時全域が帰還困難区域となり、その半分が中間貯蔵施設の用地になった。
故郷に帰れないなか、山口さんも"苦渋の選択"を迫られた1人だ。親から受け継いだ土地を手放すことには抵抗感があり、所有権を残したまま国に土地を貸すことを選択した。
しかし山口さんは「土地が返ってくるのが2045年。俺も100歳だし、その頃は多分いないと思う。大臣が変わればまたコロッと変わって。俺らが期待したってしょうがない」と話す。

■人が訪れる場所へ
「じゃんがら」が奉納されてきた塞神社。避難指示の解除に伴い、山口さんは3年前から避難先のいわき市で育てた花を移植する活動を続けている。「国道6号線から見えるところだし『花が咲いているな、まわってみるか』と、人にまわってもらえるような場所にしたかった」と山口さんはいう。

■原発事故前の故郷を
2025年2月に塞神社の前で行われた除幕式。慰霊碑には、避難先などで亡くなった地区の44人の名を刻んだ。「亡くなった人もずいぶんいた。その人らも、みんな多分帰りたがっていた。慰霊碑ができて名前だけでも長者原に帰って来られたっていうのが、俺としては良かったと思っている」と山口さんは話す。
その隣には「あの日」を迎える前の故郷、2011年3月時点の居住配置図が刻まれた石碑も置かれた。かつて長者原地区に住んでいた人は「これを見て、改めて10何年前のこの地区の思い出が浮かんできます」「昔の元気な頃の顔が頭に浮かぶ。ここにこういう人がいたなとか」と話した。

■約束の2045年
震災から14年。2045年までに福島県外での最終処分を、実現する上で欠かせない除染で出た土の再利用。
山口さんは「ちょっとしたことで、すぐに大騒ぎして、自分だけ良ければいいって感じで。電気は東京電力を使って、ここの電気はみんな関東にいっている。それで関東の人が反対してちょっとおかしいと思う」と話し、受け入れ先の確保などが、なかなか進まない現状に歯がゆさを感じている。

■未だ見えない処分地
中間貯蔵施設に保管されているすべてが、福島県外で最終処分されるわけではなく、最終処分は8000ベクレルを超える約4分の1に限られる。
一方、国の工程表では、処分地の決定は2030年頃以降として具体的な時期は盛り込まれていない。処分場所も決まっていないのが現状。さらに、減容化すればするほど放射能濃度が高くなり、処分方法にも議論が残りそうだ。

そして、約4分の3を占める8000ベクレル以下のものは再生利用されることになる。福島県ではすでに、飯舘村の農地などで実証事業が行われている。しかし、県外の実証事業は、埼玉県所沢市などで計画されるも地元の反対によって実現していない。中間貯蔵施設は、犠牲の上で作られた施設ということを忘れてはいけない。