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風化する震災 "あの日"を伝える遺留品 持ち主を待つ「思い出の品」を記憶の震災遺構に《東日本大震災》

東日本大震災からまもなく14年。時間の経過とともに進む震災の記憶の風化。忘れてはいけない"あの日"のことを、私たちは伝え続けなければならない。津波の被害を受けた福島県いわき市では遺留品をデータに残し、次の世代に震災の記憶をつなげようとしている。

■持ち主を待ち続けて14年
「これまでいわき市では、随時持ち主の方へ返還をしていました。今回改めて、遺留品を展示してお探しいただく機会を作らせていただいたものになります」
こう話し、いわき震災伝承みらい館の副館長・箱崎智之さんが見せてくれたのが、土が付いたバッグ、色あせた写真に卒業アルバム、そして携帯電話。ここにあるものはすべて震災の津波で流された、誰かの大切な「思い出」の品々だ。持ち主の帰りを待ち、もうすぐ14年になる。

■最後の展示・返還
2011年3月11日、押し寄せた津波によって甚大な被害を受けた福島県いわき市。「思い出の品」は、崩れ落ちた家の中や流れ着いた先などで見つかった。その数、数十万点。
いわき市は震災直後から返還する取り組みを始め、これまでに多くが持ち主のもとに戻った。
ただ、受け取りに来る人は時が経つにつれ少なくなった。
「遺留品自体の劣化というものが一番大きな理由ではあるが、被災された方々とお話をさせていただくと、当時の思い出を振り返ることもあるが、そこから未来に向かって歩みだされているというところが見受けられた。これまでの実施状況から踏まえて、いったんの区切り、次へのステップということで、今回を持って展示・返還を最後にするということになった」と箱崎さんはいう。

■"思い出の品"を震災遺構に
現在、施設に保管されている「思い出の品」は約5,000点。
最後に開かれた展示会にも多くの人が見学に訪れたが、期間中に受け渡しができたのは42点に留まった。
いわき市は「思い出の品」を震災の記憶を伝える「震災遺構」にし、画像データとして保存。3月11日に一部を除いて焼却処分することにしている。
訪れた人からは「悲しいのは悲しいけど、先に進むのには仕方ないのかな。できるだけ元の所有者の元に戻ってくれれば、それだけで心が休まる」「実際に被害にあった人の、生身の声の持つ力はあると思う。モノとして見て感じる事が少なくなってしまうなら、そういう声を聞く機会が必要」との声が聞かれた。

■遺留品としての役割
いわき市薄磯地区の大谷慶一さんは、震災の記憶を次の世代に伝える語り部の一人だ。
「14年経ったからあの災害から立ち直れたかって言うと、そうじゃない。心のどこかには、やっぱり引っかかりはいつもある」と話す大谷さん。生まれ育った大好きな街を飲み込み、変えてしまった津波。その記憶を伝えてきた遺留品という「思い出の品」に感謝しながらも、「遺留品いっぱいあります。いわきだけで何千点、何万点って残っています。その数万点、いつまで残す?今後ずっと永久に残していくのですかって言ったら、そうはいかない。数点だけは風化防止のための、現実を示す遺留品として残す必要はあると思うが、全部である必要はないと思っています」と大谷さんは話す。

■震災から14年 見つめなおす時
「モノ」だけではなく「言葉」で。大谷さんは、震災を経験したすべての世代に改めて自分たちが経験したことを伝えていって欲しいと考えている。
「私たちの話を聞いてくれた人たちが、私たちの言葉に少し共感していただける部分があれば、その共感した部分を帰ってから周りの人に話ししていただく。それが伝承っていうことになっていくと思う」と大谷さんはいう。
決してあの日を忘れてはいけない。忘れさせてはいけない。思い出の品々と別れを告げるための約束だ。

■復興の現在地
福島県内では最大震度6強を観測し、10メートルを超える津波が沿岸部に押し寄せた。津波や地震により24万棟を超える住宅が被害に遭い、堤防や道路などの公共土木施設も2158カ所が被災した。
堤防は、高さを震災前よりも1メートルから2.5メートルほどかさ上げし、数十年から百数十年の頻度で発生する津波に耐えられるように整備された。
復旧工事は、2024年11月までに、99.8%が完了していて、残るは帰還困難区域の一部だけとなっている。