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「事故がなければ」震災関連死...遺族の無念 研究進み特徴が明らかに 救えた命を守る教訓《震災12年》 

東日本大震災で、福島県では2333人が長引く避難生活などで亡くなった。一度は助かった命がなぜ...家族は今も無念の思いを抱えている。震災関連死の研究も進み、その特徴が分かってきた。
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<なぜ故郷から出なければならないのか>
福島県大玉村で石材店を営む末永一郎さん。福島県浪江町から避難し、長男と一緒に本格的に事業を再開させてから10年が過ぎた。
末永さんが東日本大震災前に墓石などを制作していた浪江町津島地区は、帰還困難区域に指定され立ち入ることすら難しくなった。

「我々がどうしてこの故郷を捨てて、ここを出なければ行けないのか。自問自答していますよ。悔しさだけだね、無念さと悔しさ」

<事故がなければ救えた命>
原発事故で失ったのは、故郷だけではなかった。父親の勇男さんが亡くなったのは、東日本大震災の翌年の8月。"救えたはずの命"...震災関連死だった。
末永さん「親父の無念さがある。この事故がなければ、こういった形で亡くなるってことはなかったと思う」と話す。

震災の直前まで働き健康だった父・勇男さんは避難所を点々する中で次第に体調が悪化。心臓や肺に病気を患い、入退院を繰り返した。「浪江町に帰りたい」という父に「規制がかかって、もう立ち入り禁止区域になってるんだから、帰れないよ」と末永さんは伝えたという。

故郷への帰還が見通せず、強いストレスを抱えていた父・勇男さん。
末永さんは「避難して体育館で1カ月間いた。"色んなことを考えると眠れない""食欲がない"ということを常々言っていた」と当時を語る。

<葬儀も故郷・浪江で行えず>
立入りが制限されたため、父親の葬儀は故郷で行えなかった。「親父も苦労してやってきたわけで、最期くらいは自宅からお葬式を出してあげたかった」と話す末永さん。父・勇男さんが亡くなってから11年近くが経つが、無念の思いが消えない。

<震災関連死 福島県が最多に>
復興庁によると、東日本大震災による震災関連死は1都9県で合わせて3789人に上る。このうち福島県は、2333人と6割以上を占めて最多に。地震や津波などで亡くなった「直接死」を上回っている。

<震災関連死の特徴が浮き彫りに>
その震災関連死の実態に迫ろうと研究を進めているのが、福島県立医科大学の坪倉正治教授を中心とするチーム。
個人情報の保護などにより、亡くなった人の詳しいデータは手に入らないため、これまで調査には限界があった。

その中で研究チームは、震災関連死が520人と、全国の自治体で最も多い福島県南相馬市と協力。実態解明に迫る初めての調査結果の取りまとめを進めていて、"震災関連死"の特徴が浮き彫りになってきた。

震災関連死のうち、介護認定を受けていた人は266人で全体の51%余り。このうち117人と半分近くに上ったのが、意思の疎通が難しく最も重い介護認定を受けた「要介護5」の人だった。
震災関連死全体では4分の1程を占めていて、その死因の大部分は唾液などを上手く飲み込めず発症する「誤嚥性肺炎」だった。

福島県立医科大学の坪倉正治教授は「肺炎にならないように様々なケアが介護や医療の現場でされる。そういったものができなくなり、発災からかなり早期・1カ月以内に亡くなられた方が多かった」と話す。

<数年後に震災関連死というケースも>
震災関連死を防ぐためには、発生直後から「誤嚥性肺炎」の予防が欠かせないことが確認された一方、影響が"長期化"するケースも分かってきた。

災害発生から亡くなるまでの期間について、全体の平均は230日。障がいを持っていた人に限ると、平均は514日と倍以上に長くなった。
長引く避難生活などで、身体への負担が蓄積され体調が徐々に悪化していったとみられている。

福島県立医科大学・坪倉正治教授は「関連死は最初の1カ月間だけで起こって、その後起こらないという話では全くない」と指摘する。「繰り返しの生活環境の変化があり、それによる影響が大きい。そういったものを中長期にしっかり守る体制が必要」と話す。また「環境の変化による身体への知らず知らずの負担はすごく大きいので、そういったものがあるんだ知ってもらうことが大切」と語った。

<災害時にケアをする人材の維持・確保>
福島県立医科大学の坪倉正治教授は「災害時にスタッフの数をいかに維持していけるかというのが一番の課題」と話す。できるだけ早期にサポートできる体制を、被災地外から集めて体制を構築することが重要となる。

"救えたはずの命"を救うために、いま見えてきた教訓だ。